創立90周年記念座談会(2/5)

 <この20 年間の連盟の活動について>
座 長: さて、当連盟の70 周年頃までの振り返りはこの辺にしておきたいと考えます。それでは、この20 年をどう捉えるかについて話を進めていきたいと考えます。サマージャンプやローラースキー大会などはどのように位置づけされるのかこの機会に明確にしておきたいと思います。
  また、この間には二度の震災や冬季五輪開催などが入ってきていますが、連盟からも多くの選手を輩出していますね。
浅 野: 和田元会長が長野五輪当時に全日本スキー連盟の副会長をされていた関係で長野五輪にも関わられたはずです。
座 長: 連盟の選手及び役員の冬季五輪への関与については、記録として残しておきましょう。
浅 野: 平成3年(1991年)に第1回サマージャンプ大会を実施してますね。
座 長: 約20年前に現在のサマージャンプ大会が始まっていますが、ジャンプ選手数拡大への貢献度は大きいですね。ジャンプ選手の向上心と大会地の設備拡充も相まって盛んになってきたようです。
新 井: 昭和60年代にはバスをチャーターして大阪駅から大挙してジャンプ合宿に向かったこともありました。
座 長: この20 年間の流れで、チャンピオン大会も含め話題にしておくことは何でしょうか?
新 井: アルペン・チャンピオン大会は比較的新しい競技種目です。第80回選手権大会記念としてはじまりました。一方ノルディックでもスプリント競技が追加されています。
事務局: 登録学生に対して競技への参加機会を広げることとポイント取得を目的として、学校対抗戦以外で男女合計4種目を加えたものですが、6日間の大会期間中に実施するため日程的にはタイトなものとなっています。 全日本ではこのあたり、開会式の当日に競技種目を消化したり、別日程で実施した種目を加味すると言った方策で対応しています。もっとも冬季国体・全日本学生選手権と続いて全関西学生選手権がシーズンを締めくくる最後の大会となっていると言う意味合いもあります。
座 長: 確かに限られた大会期間中に多くの種目を消化することは、学生にとっても、役員にとっても時間的に厳しいですね。そう言う意味からも、学生へのモチベーションアップ策を考える必要があり、浅野顧問も会長時代には苦慮されたことがよくわかります。
浅 野: 昭和40年(1965年)以降に大学数及び学生数が大幅に増えて、連盟の財政も楽にはなりましたので、それまでは役員の手弁当だったものが、交通費も出せるようになった経緯があります。
  さらに平成2年(1990年)第60回大会から廣屋インターナショナル(株)から協賛いただきました。平成17年(2005年)までの16年間のサポートが連盟の財政面の基盤確立に大きく寄与し、大きな助けになりました。 そして平成22年(2010年)から松田会長のご尽力で㈱アミノアップ化学からのサポートが始まりました。
座 長: スポンサーシップの件は連盟としては欠かせない事項ですが、確かに廣屋インターナショナルさんの貢献度は大きく、いわゆる”中興の祖”的な位置づけになるのではと思います。
浅 野: それはアミノアップ化学さんも同様ですよ。
新 井: 当時、今とは少し違った形態でコロナカップと言うチャンピオン大会が赤倉の大会の前日に開催されたものです。費用も廣屋インターナショナルさん側が出してくれていました。
座 長: 廣屋インターナショナルさんからのサポートはどのようにして始まったのでしょうか?
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浅 野: 加藤元会長が事業を通して廣屋インターナショナルさん側との接点が生まれたようです。
座 長: 現在はアミノアップ化学さんから6年間に亘ってサポートしていただいていており大変ありがたいことなのです。札幌にあるサプリメントの研究開発をしている会社で、大阪大学の寄付講座の話が出た際に当時の小砂社長(現会長)にお願いしたところ、幸いお受けいただいて現在に至っている訳です。
  それ以外の会社としては、現物支給でのサポートしていただいている㈱フェニックスやスウィックススポーツジャパン㈱などがあり、後援としては朝日新聞社があります。
事務局: フェニックスさんからのゼッケン供出は約5年前から始まりました。それ以前はミズノ㈱からでした。現在はこのフェニックス製のゼッケンを洗濯して毎年使いまわしていますし、使用中に欠けたゼッケンについては補充をしていただいています。またスウィックススポーツジャパンさんからは、春・秋の季節外競技会と本大会の合計3回分を賞品の現物支給と言うかたちで協力をいただいています。また、広告を掲載していただいている20数企業の方々にも感謝しております。
浅 野: 朝日新聞社からは連盟創設時から物・資両面でご協力いただき、昭和36年(1961年)当時はその額が3万円で、総予算10万5千円の30%近いものでしたが、その後参加校数や登録人数も増えてきたこともあって、独り立ちできるとの判断で昭和42年(1967 年)で打ち切られました。その後は、廣屋インターナショナルさんやアミノアップ化学さんも含めて協賛していただく企業のお蔭をもって連盟の運営が円滑にできてきた訳です。
座 長: 昭和36年(1961年)と言いますと私が在学中で2年生くらいの時ですが、連盟がそんなに厳しい状況にあるとは思ってもみなかったですね。スキー場自体も我々に対しては学生と言うこともあって大事にしてくださっていたのでしょうね。
  現在もそしてこれからも協賛していただける企業さんに対しては連盟として感謝を示す姿勢が大事だと思います。
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